7/29:まあにわかの言うことだと聞き流して的長文
2007.07.29 Sunday
やあ、負けてしまいましたね>アジアカップ。
シード権を取れないのは残念ですけど、昨日の試合はノーチャンスでした。レベルが同じぐらいのチーム同士の対戦で片方が守りに入っちゃったら、早々点は取れませんわ。選手にはお疲れ様と言いたいですね。
それより。
僕は昨日の試合の間中、何だか心がモゾモゾしていまして。いや、試合の内容にじゃなく、試合の解説の方にです。
またぞろ言ってる訳ですよ。「韓国チームに負けないハートが大切ですよね!」「こういう時こそ個の力が・・・」「ミドルシュートが必要ですねぇ」みたいなこと!
ハートぉ?
いつまでこういうこと言ってんでしょうね。世の中は。
にわかファンにわかファンと言いながら、僕ももうそろそろ代表観戦歴15年ぐらいになる訳です。しかし、日本代表が、ハートにおいて相手を上回った試合、見ているこっちが「こいつら熱いぜ!参ったぜ!」と思った試合がかつてあったでしょうか?ほとんど覚えてませんよ。ドーハの韓国戦、ジョホールバルのイラン戦、前回アジアカップのバーレーン戦ぐらいかな。
方や、韓国はハートの力でイタリアを倒すぐらいのガッツが売りのチームなんですよ。その相手に、100試合に1回ぐらいしか発動しない日本代表の「ハート」に期待するってのは、もはや「ドラえもんが何とかしてくれませんかねぇ」と言ってるぐらい非現実的なことだと思うのです。
もうそろそろ、認めましょうよ。日本代表にハートを求めるのはお門違いだと。圧倒的な個の力?日本では歴史的な唯我独尊プレーヤーだった中田ヒデですら、イタリアでは自分勝手なチームメイトの尻ぬぐいをしていたんですよ。海外の人々とは素質が違う!日本に個の力を求めるのも、もう止めましょうよ。ミドルシュートだってそう。FKなら30メートルの距離でも絶対にゴールを狙う俊輔や遠藤が、流れのなかだとゴール前10メートルでもパスをする。これだって今に始まったことじゃない。僕が代表戦見始めた頃から余裕でそう。僕も一時期は「勝つ意欲が!」とか思ってたけど、もう諦めた!今まで変わらなかったものが、なんで今更急に変わるか?解説者の面々も、自分たちがプレイヤーだった時はそうだったにも関わらず、自分が解説になったら無理難題を言う。闘莉王がどうとかワールドカップ組が必要とか、世界レベルで見ればどんぐりの背比べの順序で揉めるのももううんざりって感じ。
日本代表はこの先も、精神力に欠けるし、個の力はないし、ミドルシュートも打たない!これでいいじゃん。
むしろ、この前提から、日本サッカーは強くなって行くべきだと思う。
つまり。
「個の力ゼロ」「精神力ゼロ」「ミドルシュートゼロ」でも勝てる方法を考えるべきなんだ。これこそが未来!
ゼロ尽くしではあるが、望みはゼロじゃない。日本人にだって優れた部分はある。「ある程度のボールテクニック」「高い情報処理能力」「爆発力はないが、切れない運動量と集中力」みたいなところは、どの選手にも必ず備わっている能力。「ガッツ」みたいな突然変異的なものを頼みにするよりも、日本人選手皆が持っているストロングポイントを、「常に」「世代が変わっても」高レベルで引き出せるような組織を作ることの方が、日本のサッカーの未来に繋がっていると思うのです。特に、日韓ワールドカップで見えかけた方向性が、ジーコの4年間ですっかり霧散してしまった現在においては。
そして、オシムが今やってる「考えながら走る」というコンセプトは、有力なスタイルの選択肢だと思う。
サッカーという休みなしに情報が動くスポーツにおいて、それを高速で処理しながら、個人ではなく「組織として」答えを出し続けるというオシムのスタイルは、上の日本人の素質を踏まえた形だと思う。日本なら、このスタイルで世界一を目指せるかも知れない。勝てるかどうかはまた別としても。とことん突き詰めてみる価値はある。
例えば、(今もやってるかどうか知らないけど)アメリカや北欧の国なんかがやっている、規律とオートマティズムを基本とするシステムを更に押し進めた、全ての局面で決まり事があるようなもの。シュートが打てないなら、シュートまで自動化するような究極のピタゴラスイッチシステムも日本人なら可能かも知れない。
しかも、今の代表は、それが机上の空論ではなくて、ある程度具体的になっている。今回のアジアカップでも、後ろでゆっくりパスを回しながら、ある地点からスピードアップして、後ろから選手が追い抜かしていってマークをずらし、サイドにボールを出してチャンスメイク、行き詰まったら逆サイドへ・・・みたいな形はかなり自動化されていた。アナウンサーが何度も、「これも練習でやっていましたね」て言っていた。アジアレベルとは言え、相手がいる状態でも練習通りにできて、しかも通用するというのは、日本人選手のクオリティと練習のレベルの高さというのを物語っている。確かに今の段階ではまだオプションが不足していて、試合の中盤になると結構対応されてしまっていたけど、思えば、トルシエの時は守備に手一杯で、攻撃の形作りまでは4年かけても全然手が回っていなかったし、ジーコに至ってはほとんど放置。就任1年で選手も試しながら、ゾーン・マンマーク両方の守備を整備し、更に攻撃の形まで作りかけているオシムの指導力というのは賞賛されるべきだと思う(もちろん選手の基本能力の高さも見逃せないけど)。
今大会に臨むオシムとしては、チームとしてのスタイルや哲学を世に示しながら、結果も出さなくてはいけないジレンマは相当なものだったと思う。それが、ジェフの選手(スタイル)とワールドカップ組(結果)の偏重に繋がっていたのではないだろうか。ことにセカンドラウンドに入ってからのオシムの記者会見での苛立ちは、ほとんどエキセントリックだった。もうちょっとどっしり構えていればいいのに、とは思ったけど、テレビ中継みてたら解説者は未だに「ガッツガッツ」「個の力が」だもん。イライラするのもわかるような気がするわ。あの人らは、前のワールドカップで何を見ていたんだ?!
今、日本サッカーは重大なスタイル選択の時期を迎えている。「考えて走る」というコンセプトは今はU20代表、五輪代表、A代表全てで採用されている。仮にオシムがいなくなっても、この流れを止めちゃいけない。
サッカーの強国の常連になるためには条件があって、それは国民性にあったスタイルを持っていて、しかも、そのサッカーが国中に浸透しているということ。ブラジルならブラジル、アルゼンチンならアルゼンチン。それぞれのサッカーのスタイルがあって、それを子供の草サッカーの時点から皆が当たり前のようにやっている。国民の素質にあったスタイルをやっているうちに、さらにそのなかで天才が生まれて、スタイルを更に強化する。これが正しい進化。監督が替わるたびにスタイルが変わって、代表がいちいちそのスタイルを練習をしている、みたいなアジアやアフリカ諸国は、どんどん世界から遅れて行っている。スタイルは歴史がなくても、人為的にも作れるはず(オランダとかそうでしょ?)。どんな代表も、少なくとも1人は「絶対的個人の才能」が必要なのは間違いない。けれども、今の日本代表に必要なのは個人の才能よりも、それ以外の部分の整備。少なくとも、オシムの練習だけは、日本中で採用されるべきだと思う。
走りながら高速に考える選手。強固かつ精緻な戦術。正確無比の自動攻撃と無数の攻撃オプション。これが僕の理想の日本代表。「ロボットの集まり」って非難を浴びるかも知れないけど、それならそれで、開き直って、スティクスの「ミスター・ロボット」をテーマソングに入場するぐらいの勢いよ。たまに情熱のあるチームに負けるかも知れないけど、その時はいさぎよく「シ、システムエラー・・・システムエラー」って頭から煙を出して爆発すればいいのさ。そして、そういうスタイルを確立した上で、改めて「爆発的な個」の誕生を待とう。その「個」は日本のスタイルで育った上でさらに個性があるT-1000ばりのスーパーロボットであるはずだ。
ともかく言いたいのは、今の代表をサポートすべし!ということ。
世界のトップはとっくのとうに「圧倒的な天才が考えて走る」時代に突入している。オシムの理想が100%実現されてたって、まだ半分なんだよね。この段階で揉めている場合じゃなかろうて。
シード権を取れないのは残念ですけど、昨日の試合はノーチャンスでした。レベルが同じぐらいのチーム同士の対戦で片方が守りに入っちゃったら、早々点は取れませんわ。選手にはお疲れ様と言いたいですね。
それより。
僕は昨日の試合の間中、何だか心がモゾモゾしていまして。いや、試合の内容にじゃなく、試合の解説の方にです。
またぞろ言ってる訳ですよ。「韓国チームに負けないハートが大切ですよね!」「こういう時こそ個の力が・・・」「ミドルシュートが必要ですねぇ」みたいなこと!
ハートぉ?
いつまでこういうこと言ってんでしょうね。世の中は。
にわかファンにわかファンと言いながら、僕ももうそろそろ代表観戦歴15年ぐらいになる訳です。しかし、日本代表が、ハートにおいて相手を上回った試合、見ているこっちが「こいつら熱いぜ!参ったぜ!」と思った試合がかつてあったでしょうか?ほとんど覚えてませんよ。ドーハの韓国戦、ジョホールバルのイラン戦、前回アジアカップのバーレーン戦ぐらいかな。
方や、韓国はハートの力でイタリアを倒すぐらいのガッツが売りのチームなんですよ。その相手に、100試合に1回ぐらいしか発動しない日本代表の「ハート」に期待するってのは、もはや「ドラえもんが何とかしてくれませんかねぇ」と言ってるぐらい非現実的なことだと思うのです。
もうそろそろ、認めましょうよ。日本代表にハートを求めるのはお門違いだと。圧倒的な個の力?日本では歴史的な唯我独尊プレーヤーだった中田ヒデですら、イタリアでは自分勝手なチームメイトの尻ぬぐいをしていたんですよ。海外の人々とは素質が違う!日本に個の力を求めるのも、もう止めましょうよ。ミドルシュートだってそう。FKなら30メートルの距離でも絶対にゴールを狙う俊輔や遠藤が、流れのなかだとゴール前10メートルでもパスをする。これだって今に始まったことじゃない。僕が代表戦見始めた頃から余裕でそう。僕も一時期は「勝つ意欲が!」とか思ってたけど、もう諦めた!今まで変わらなかったものが、なんで今更急に変わるか?解説者の面々も、自分たちがプレイヤーだった時はそうだったにも関わらず、自分が解説になったら無理難題を言う。闘莉王がどうとかワールドカップ組が必要とか、世界レベルで見ればどんぐりの背比べの順序で揉めるのももううんざりって感じ。
日本代表はこの先も、精神力に欠けるし、個の力はないし、ミドルシュートも打たない!これでいいじゃん。
むしろ、この前提から、日本サッカーは強くなって行くべきだと思う。
つまり。
「個の力ゼロ」「精神力ゼロ」「ミドルシュートゼロ」でも勝てる方法を考えるべきなんだ。これこそが未来!
ゼロ尽くしではあるが、望みはゼロじゃない。日本人にだって優れた部分はある。「ある程度のボールテクニック」「高い情報処理能力」「爆発力はないが、切れない運動量と集中力」みたいなところは、どの選手にも必ず備わっている能力。「ガッツ」みたいな突然変異的なものを頼みにするよりも、日本人選手皆が持っているストロングポイントを、「常に」「世代が変わっても」高レベルで引き出せるような組織を作ることの方が、日本のサッカーの未来に繋がっていると思うのです。特に、日韓ワールドカップで見えかけた方向性が、ジーコの4年間ですっかり霧散してしまった現在においては。
そして、オシムが今やってる「考えながら走る」というコンセプトは、有力なスタイルの選択肢だと思う。
サッカーという休みなしに情報が動くスポーツにおいて、それを高速で処理しながら、個人ではなく「組織として」答えを出し続けるというオシムのスタイルは、上の日本人の素質を踏まえた形だと思う。日本なら、このスタイルで世界一を目指せるかも知れない。勝てるかどうかはまた別としても。とことん突き詰めてみる価値はある。
例えば、(今もやってるかどうか知らないけど)アメリカや北欧の国なんかがやっている、規律とオートマティズムを基本とするシステムを更に押し進めた、全ての局面で決まり事があるようなもの。シュートが打てないなら、シュートまで自動化するような究極のピタゴラスイッチシステムも日本人なら可能かも知れない。
しかも、今の代表は、それが机上の空論ではなくて、ある程度具体的になっている。今回のアジアカップでも、後ろでゆっくりパスを回しながら、ある地点からスピードアップして、後ろから選手が追い抜かしていってマークをずらし、サイドにボールを出してチャンスメイク、行き詰まったら逆サイドへ・・・みたいな形はかなり自動化されていた。アナウンサーが何度も、「これも練習でやっていましたね」て言っていた。アジアレベルとは言え、相手がいる状態でも練習通りにできて、しかも通用するというのは、日本人選手のクオリティと練習のレベルの高さというのを物語っている。確かに今の段階ではまだオプションが不足していて、試合の中盤になると結構対応されてしまっていたけど、思えば、トルシエの時は守備に手一杯で、攻撃の形作りまでは4年かけても全然手が回っていなかったし、ジーコに至ってはほとんど放置。就任1年で選手も試しながら、ゾーン・マンマーク両方の守備を整備し、更に攻撃の形まで作りかけているオシムの指導力というのは賞賛されるべきだと思う(もちろん選手の基本能力の高さも見逃せないけど)。
今大会に臨むオシムとしては、チームとしてのスタイルや哲学を世に示しながら、結果も出さなくてはいけないジレンマは相当なものだったと思う。それが、ジェフの選手(スタイル)とワールドカップ組(結果)の偏重に繋がっていたのではないだろうか。ことにセカンドラウンドに入ってからのオシムの記者会見での苛立ちは、ほとんどエキセントリックだった。もうちょっとどっしり構えていればいいのに、とは思ったけど、テレビ中継みてたら解説者は未だに「ガッツガッツ」「個の力が」だもん。イライラするのもわかるような気がするわ。あの人らは、前のワールドカップで何を見ていたんだ?!
今、日本サッカーは重大なスタイル選択の時期を迎えている。「考えて走る」というコンセプトは今はU20代表、五輪代表、A代表全てで採用されている。仮にオシムがいなくなっても、この流れを止めちゃいけない。
サッカーの強国の常連になるためには条件があって、それは国民性にあったスタイルを持っていて、しかも、そのサッカーが国中に浸透しているということ。ブラジルならブラジル、アルゼンチンならアルゼンチン。それぞれのサッカーのスタイルがあって、それを子供の草サッカーの時点から皆が当たり前のようにやっている。国民の素質にあったスタイルをやっているうちに、さらにそのなかで天才が生まれて、スタイルを更に強化する。これが正しい進化。監督が替わるたびにスタイルが変わって、代表がいちいちそのスタイルを練習をしている、みたいなアジアやアフリカ諸国は、どんどん世界から遅れて行っている。スタイルは歴史がなくても、人為的にも作れるはず(オランダとかそうでしょ?)。どんな代表も、少なくとも1人は「絶対的個人の才能」が必要なのは間違いない。けれども、今の日本代表に必要なのは個人の才能よりも、それ以外の部分の整備。少なくとも、オシムの練習だけは、日本中で採用されるべきだと思う。
走りながら高速に考える選手。強固かつ精緻な戦術。正確無比の自動攻撃と無数の攻撃オプション。これが僕の理想の日本代表。「ロボットの集まり」って非難を浴びるかも知れないけど、それならそれで、開き直って、スティクスの「ミスター・ロボット」をテーマソングに入場するぐらいの勢いよ。たまに情熱のあるチームに負けるかも知れないけど、その時はいさぎよく「シ、システムエラー・・・システムエラー」って頭から煙を出して爆発すればいいのさ。そして、そういうスタイルを確立した上で、改めて「爆発的な個」の誕生を待とう。その「個」は日本のスタイルで育った上でさらに個性があるT-1000ばりのスーパーロボットであるはずだ。
ともかく言いたいのは、今の代表をサポートすべし!ということ。
世界のトップはとっくのとうに「圧倒的な天才が考えて走る」時代に突入している。オシムの理想が100%実現されてたって、まだ半分なんだよね。この段階で揉めている場合じゃなかろうて。




