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2/26:死者の民主主義inニコ生

今月の100分de名著「大衆の反逆」が結構面白い。

 

 

近代とともに発生した「大衆」という存在について、主にその懸念について考察した本なんだけど、最近は、この本が書かれた1929年よりさらに大衆が力を持つ時代のように感じる。ヤフコメでも「この人嫌いだから一回も見たことないけど、性格悪そう」みたいな単に個人の先入観だけの「捨て台詞」のようなコメントがあらゆる記事につき、それに「そう思う」が1000も2000もつくという時代。でも、周りの人に聞いたら誰に聞いてもこういうコメントに対して嫌悪感を持っている。それじゃあ、誰がコメを入れて、誰がいいねをつけているのか…大衆って一体なんなんだろう。すぐ様、本を買ってしまった。

 

謎の存在・大衆が力を持ちすぎることの対抗策として、番組内で紹介されていたのが、「死者の民主主義」という考え方。死者の民主主義というのは「祖先に投票権を与える」という考えのこと。つまり伝統を重んじろということ。先人が考えたことをにはちゃんとそうなる理由がある。投票権、先人に従えという訳ではなく、考慮に入れろということ。それが極端に流れすぎる時にストッパーになる。これは面白くて詩的な表現だった。

 

昨日はDOA6発売記念のニコ生に出演してきた。

ア・コテ・パティスリーのクッキーを食べながら瞑想。

 

今まで全く顔出し出演をしたことがなかったボクだけども、テクモから直々の依頼だったし、音声だけの出演は失礼な気がしたので、発言に責任を持つためにちゃんと出た。

 

何しろボクには、あやねの良さを世界に伝えるという重要な役割を担っていたのだから。新作にニコという娘が出てきてるけど、この娘が悪い子って聞いて戦慄した。DOA最軽量(つまり体型比で一番おっぱいが大きい)・最年少・唯一の少女ヴィランというあやねがかつて潤沢に持っていた突出性を、おっぱいをほのかが取り、小娘感をマリーがとり、さらにヴィランもニコが取るとなると、もはやあやねにはザック島のエステ係しか残っておらぬではないかぁ!

 

3日ぐらい前からボクは「あやねのこと以外は話さない人間」というマインドコントロールを自分にかけていた。ある程度は話せたと思うけど、用意しておいたネタの10分の1ほどしか話せなかった。「DOA違和感・快感論」とか「かすみナウシカ論」とか「マロングラッセあやね害悪論」とか色々あったんだけど。あやねのコスの意図も話せなかったし。

 

しかし長年あやねよかすみを超えろ、と言う願いをこめながらDOAを見つめていたけども、まさか、あやねどころかかすみもマリー&ほのかの後塵を拝する時代が来るとは…。最近はマリーとほのか以外はどんぐりになりかけている。こうなると、かすみも紹介しないといけない。新しいキャラクターが人気が出るのは実に良いことであるけども、かすみやあやね(レイファンやティナ他の方々も)達も愛され続けてほしいよね。そうじゃないと、また魅力的な新しいキャラクターが出てきたらマリーやほのかもどんぐりになってしまうかもしれない。過去に投票権を与えなければね。

 

新堀Pは喜んでくれたけど、他の人たちはどうだったかな…。

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