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5/4:レディプレイヤー1見た

ボクはゲームが好きだけど、ゲーム内で人付き合いって全然好きじゃないんですよね。

 

なんでゲームのなかでまで社会性が必要やねん!「こんにちは〜よろしくお願いします〜」とか言いたくないねん!ボクは一人になりたくてゲームをやる。特に最近ボクが好んでやるゲームはNPCすらいない。ボクしかない、一人がいい。

 

だからね、この『レディプレイヤー1』の基本的設定がどうにも入り込めなかった訳ですよ。見に行ったんですけど。

最初の仮想空間に一杯アバターがいるシーンでいきなりゾッとする。やだなぁ。これが全部NPCならいいけど。

 

言いたいことはわかる。ゲームのなかでは現実ではない自由がある。主人公は見た目もVR内ではイケメンでヒーロー。主人公の仲間たちも現実では性別や国籍なんかで壁があるが、ゲーム内では平等だ。そういう意味ではLGBT的な視点もある。しかし、現実のゲーム界はそれなりに格差も秩序も存在する。ドラゴンポーカーなんてひどいよw間違ったカードとか出しちゃったら嵐のような罵倒が飛んでくる。しかもそういうことをやる人はほとんどが上手い人だ。秩序を作る人達が率先して野蛮なのだ。

 

でも、ゲームというのはそういう場所とも言える。無礼な人間になることさえ、自由なのだから。

 

後半から、ゲーム世界を支配しようとする大企業が出てくる。そして、主人公たちはその大企業に戦いを挑む。ゲーマーたちの武器は、自分たちが愛してるサブカルチャーのアイコンだ。デロリアン、アイアン・ジャイアント、アキラバイク、ガンダム…。そこから映画は別の様相を呈してくる。つまり、サブカルチャー礼賛だ。ボクらが愛したマンガやゲーム、テレビドラマ、映画…そういうものを権力や金の支配から守らなければならない。多分に古くさい、でも、今でも守るべき、スピルバーグからの強いメッセージを感じた。ここからこの映画が面白くなってきた。

 

これはサブカルチャーvs政府とか、そういう昔ながらの構図もあるんだけども、最近はもっと複雑だ。フェイスブックやGoogleの個人情報が政治に使われたり、Amazonの拡大路線を見ても、元々はサブカルチャー側の人々が、やがてインターネットで帝国を築き支配をしようとしている。BS世界のドキュメンタリーで「透明人間になった私」という番組があったけども、今の時代「AGFA(アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾン)」の支配から抜け出して生活することはほぼ不可能になってしまっている。僕らは利便性のなかで精神の自由を失っている。昨日もamazonのサジェストにつられて、本を3冊も4冊も買ってしまったり、ソーシャルゲームに縛られて毎日ヘタしたら2時間ほどの時間をドブに捨てている。ツイッターだって、最初は好きなことが書ける気がしたけど、今じゃすっかり回りの目が気になって億劫になってしまった。ホントに牢獄につながれているのかも知れない。

 

毎週2日はゲームも、ネットもやめて、読書でもしよう。そんな風に思った映画後だった。

wakakitamiki * 映画 * 23:59 * - * - * pookmark
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