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11/18:ねじの人々第24話更新

今月のねじの人々が更新されています。

 

タイトルは「風に吹かれて」です。

表紙もボブディランノーベル賞受賞記念モードです。

 

連載も残すところ、あと2回。ずっと哲学の有名なトピックについて考えてきた連載ですが、最後は「哲学」という学問そのものについて考えるお話になっています。

 

ちょっと昔話になりますが、僕は高校生の頃、きわめて先鋭的な性格で「僕は絶対に正しい」「僕以外はバカ」という典型的な中2病原理で生きていました←これはいつか話をした気がします。それが、大学に入って、ある女の子と出会ったのです。その娘は僕が何を言っても「それ本当?」「そうとも限らないやん」とひたすら言ってくるのです。

 

「○○ってこうだよね」「ふ〜ん、そうなんかなぁ…」「そうやん、だって○○やん」「そうとも限らんのちゃう?」「絶対そうに決まってるやん」「でも、○○って、こういうこともあるやん」「ま、まあ、それもそうだけど…でも、○○やろ!」「そうとも限らんやん?」「なんやねん、自分うっとうしいな!」

 

この後出しカウンター攻撃に対して、僕は全力の論破体制で挑んだんですが、彼女の知的レベルは僕より遙かに高く、「そうとも限らないやん」の鉄壁ディフェンスを突き崩すことは遂にできず。「僕が正しい訳でもないのか…」という人になってしまったのです。それで僕は多少いい人になって。ついでにその娘のことが好きになっちゃったんですが(大敗北)。

 

でも、僕が傍若無人してた頃の方が人として輝いていたんじゃないか…と今でも思うことがあります。

 

世界初の哲学の巨人はソクラテスだと僕は思うのですが、ソクラテスは自分では答えを出さす、人の揚げ足をひたすらとっていくという、ある意味でとってもいやな人間でした。そして、ソクラテスは自分の著作というものを全く残していません。そういう意味で徹底した懐疑主義者だと思います。哲学とは、「答え」を求めながら、同時に「答え」を疑っていく…そういうアンビバレントな学問です。

 

特にカント以降、哲学は、「答えが出る構造」を探求する学問、になった気がします。

 

しかし、その結果、哲学は原初的な欲望からズレが生じた感じがします。僕も、大学1回生の時に哲学の授業を受けた時に、答えというより、答えを求める「書式」についての話がず〜と続いている気がして、「こんなの答えじゃないじゃん」と、哲学に対する関心がなくなった過去があります。サンデル教授がテレビでも言っていましたが、哲学は恐ろしい学問で、僕らが無意識に信じている概念をひっくり返して更地にしてしまう。結果的に僕は哲学を読めば読むほどど、ういう考えに対しても確信が持てないし、自分自身も正しいことを言ってるのかよくわからなくなってしまいました。

 

「僕は正しいし正しくない、僕以外の人も正しいし正しくない」

 

これは真に哲学的な答えの一つだと思うのですが、果たしてこれが僕の求めていた答えなのか…?

 

自分自身が絶対じゃない、という意識を持つのは「哲学」の第一歩で、また、絶対的な答えというのを敵視し、「相手にも言い分がある」と考えるリベラル的思考は、知性が生み出した美徳だと思うんですが。ここ最近では尊重されるべき答えがあまりに沢山になりすぎて、その知性が試練を迎えてる時期のように思えます。この原稿中にトランプ大統領の誕生しましたが、象徴的な事件ですね。Brexitの件もそうですが、「理想」が「現実」に負けたというより、実際は「理想」に「現実」が負けたという気がします。

 

今のように昔ながら美徳が劣勢のなかで、僕ごとき一介の平凡な人間が最終回にどういうことを言うか、非常に悩ましい限りですね(苦笑)。答えなんつーものはないって2話目にして言ってるにも関わらず、毎回「答え」を出さないといけない漫画という形式こそアンビバレントですよね。

wakakitamiki * ねじの人々 * 02:33 * - * - * pookmark
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