3/10:ねじの打ち上げ(寿司)

今日は原稿の途中で抜け出して、昔の仕事のお祭りをする。

ねじの終了打ち上げ。

食べるのはスタッフさんに任せて、編集長と連載担当さんと一緒に色々話す。編集長が「ねじはもっとうまくやれたよな〜」と何度も言う。編集長は連載立ち上げ人だから責任を感じてるのかも知れないが、なんか失敗作みたいな雰囲気になるwでも、内容は全然良いってば〜。哲学の理解ができたとは思えないけど、マンガとしてはコントロールできてたし、思い残すことなし。なの菓子はああすればよかったとか、こうすればよかったとか今でも思うけどね。

 

ただ、ボク的としては、ねじはもっと怒られるかと思ってた。「お前は何にもわかってない」って。でも、なんか素直に読まれてしまった感じもする。でも、そんな簡単にわかる内容じゃない。そういう意味では、編集長はもっと過激な決め打ちを求めていたのだろう。「これが理解できない奴は全員アホ」みたいな、そうすれば、もっとみんな真剣に読んだかも知れない(あら探しするためにね)。でも、そういう決め打ちこそ哲学的じゃないからね。うんうん。

 

そしてまた、色々な反省と成果を取り入れつつ、また次は新しい私となって、スタートするのであった。げぷ。

wakakitamiki * ねじの人々 * 23:59 * - * - * pookmark

2/16:ねじの人々第3巻(完結)発売です。

告知です。

 

2月17日、「ねじの人々」第3巻が発売になります。

目にハイライトを入れて、かわいくなったねじ君。

 

「ねじの人々」は個人的に忘れえぬ連載になりました。今回は帯を僕が自分で書いてまして(経済的!)、そこでも書いていますが、結論、すごくわかりやすくわかりにくい話になりました。こんなに論理的かつ難解な漫画はなかなかないと思います。

 

哲学は結局、人間そのものを追い求めていくもの。そして、人間を追い求めていくと、その先には、ぐちゃぐちゃでドロドロでよくわからないものが広がる世界です。人間は、個人でも集団でも、不定形な存在だと言えるでしょう。だからこそ、人間は単純な答えを求めてしまうもの。そしてなかには、「答えがわかった!」とのたまう人もいます。しかし、哲学はいつからか「答え」の向こう側まで突き抜けてしまったような気がします。そうなるともう答えはなく、「ここまでわかった」という境界線だけが広がる世界です。

 

知性とは「迷う」こと

 

これが、カントの純粋理性批判を読み、僕がこの物語のラストにしようと最初思っていた結論です。沢山の選択肢を持ち、無数の「答え」を模索し、迷いに迷いながら、"選択"する。これが答えを出すということなんだ、と。そして、その時にどれぐらいの選択肢を出すことができるのか、それが知性であり、哲学を行う意味だと思います。

 

僕がそういうニュアンスを全部理解できたとは到底思えません。正直、哲学書も解説書も色々読みましたが、心底理解できたものも、納得できたものも、説得されたものもなかったです。まあ、僕の理解力がないだけ、だという可能性も大きいです。ただ、自分のなかで「わからん!でも、ここまでは理解できた」みたいなことは、わかりやすく描こうと努力しました。

 

ねじ君やヒトデちゃん、万子ちゃん、高橋、ルネ。みんな大好きになりました。でも、もう会うことはないでしょう…この続きはそうそう簡単には描けないです。でも、ここで考えたことは、これからの僕の考え方や描くお話に大きな影響を与えると思います。皆さんもよかったら、ねじを回してみてください。どこにも行きつきませんけども。

 

書店特典があります。

とらのあな、ゲーマーズ、アニメイトでペーパーが付いていますよ。

http://urasunday.com/neji/comic/26069.html

↑裏サンデーのPRページです。

wakakitamiki * ねじの人々 * 18:45 * - * - * pookmark

12/19:ねじ最終回に寄せて

遅ればせながら、先日、「ねじの人々」最終回がアップされました。

どうでしたかね、最後は。

 

ねじを持った方々ともう会えなくなるのは寂しいです。ただ最終回は、僕がこの連載を始めるときに考えていた「哲学」のイメージに近い話が描けた気がします。

 

 

そもそも、僕が最初に考えていた「ねじの人々」の一案というのは、クラスにいろんな哲学者が集まってあーだこーだ言い合うという「ヘタリア」的なものだったんです。しかし結局、全然違う感じになりました。プラトン爺とかに名残りが残っていますが。そういうものを描いてもよかったと今なら思いますが、このマンガを書き始めた当時の僕は本当に真面目だったんですねぇw ちょっと気の利いた言葉を探してみんなに知らせてあげよう…みたいなことじゃあ、全然満足できない。自分がどこまで考えられるのか、試してみたかったんです。一応、モンティパイソンの「哲学者サッカー」みたいに、一番美味しいカレーを決めるためにみんながぶつかって侃々諤々みたいな話も考えたんですが、結局ボツになりましたねぇ。ねじの人々は、最近のエンターテインメントのキーワードであるところの「快感」というものからは、かなり離れたお話だったと思います。何しろ、「答え」が出ないんですから。つねにモヤモヤとつかみ所のない話を繰り広げていました。

 

ヴィトゲンシュタインという、ねじでは難解すぎて(僕が理解できなかった)取り上げられなかった哲学のスーパースターが自著で言ってました。

「哲学というのは、学説でなくて、活動である。(中略)思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない」

 


つまり、哲学は答えをそのものを見つけることではなく、人間がどこまで世界を理解できているのかを見極めることなのです。それには自分が今まで答えだと思っていたことも含まれます。

 

この考え方は、僕が大学時代に受けた哲学の授業のガッカリ感の説明でもあります。

 

「なんだ、哲学の本なんて読んでも答えなんて全然書いてないじゃん。人の出した答えの揚げ足とりをしあってるようにしか思えん。そもそもどうしてこんな難しい言葉で書くんだ?わからせようと言う気があるのか?哲学って非生産的だな」

 

こういう風に思っていたものです。

 

しかし、自分がこのマンガとともにず〜〜〜っと考えてみたら、なぜこうなったのか、理解できました。

 

自分の考えの限界に近い場所では、沢山の答えと、答えにならない無数の考えがシチューのようにぐるぐると漂っています。そんなところで単純な答えを出すことは不可能です。そして、その知覚の境界線では、誰も見たことのない概念に名前をつけるところから必要になってきます。だからこそ、世の中の哲学書というのはひたすら難解で、長大にならざるを得ない。しかも、それをその場所にいない他人が完全に理解することは、おそらく無理です。

 

世の中の哲学の本はそういう「冒険談」のようなものです。だれも行ったことのない世界に行った人間が不思議な話をする。しかし、その場所は余りに想像を絶する場所なので、話を聞いてもどんな様子か誰にもわからない。

 

だから、哲学の本は普通の人にはほとんど役に立たないと断言できます。「実存」だの「構造主義」だの「神は死んだ」とか、ある種の道しるべではありますが何の答えでもない。知識として知りたいってだけなら、話は別ですけども。だから僕はこのマンガで哲学思想の説明のようなことには重点を置きませんでした。まあ、マンガの資料ではなんたら哲学入門を一杯使いましたけどw

 

哲学というものは、何も本も何の勉強も必要なく、今すぐに始められます。自分や、自分の身の回りのことについて、どうして?と考える。それをどこまでもどこまでも考える。ただ、それだけです。それで既に哲学です。壁にぶつかったら、そこでやめても全然いいんじゃないかと。しかし、それでもど〜しても考え続けてしまう人が、初めて哲学の勉強をすればいいんだと思います。

 

考えるということは、自分の足でのぼる山登りのような世界です。しかも上った先に待っているのは、答えでも何でもなく、自分がいかに知らないかという限界です。そう、哲学とは、答えを知ることではなく、限界を知るということだと思います。ただ、それで終わりでもない。

 

考える人間は、答えを知り、自分の限界を知り、答えを捨て、その迷いの渦のなかで、なお先に進むために歩を進める。最終回ではそういうものを書きたかったですし、結果的に僕がこのマンガを描くきっかけだったハイデッガー…ハイデッガーが「現存在」とした人間の姿の、ぼくなりの説明になったと思っています。

 

この最終回も、ここまで付いてきてくれた人たちならきっと伝わってくれるんじゃないかなぁ…とも思います。まあ、伝わってなくても別にいいです。これが答えでも何でもないんですから。ねじの人々は、なの菓子とは違ってブログではフォローしません!もう考えるのに相当疲れましたw…こんな変なマンガについてきてくれた読者の皆さんに感謝します。最終巻は2月発売です。よかったら買ってください。どうぞよろしくお願いいたします。

wakakitamiki * ねじの人々 * 13:33 * - * - * pookmark

11/18:ねじの人々第24話更新

今月のねじの人々が更新されています。

 

タイトルは「風に吹かれて」です。

表紙もボブディランノーベル賞受賞記念モードです。

 

連載も残すところ、あと2回。ずっと哲学の有名なトピックについて考えてきた連載ですが、最後は「哲学」という学問そのものについて考えるお話になっています。

 

ちょっと昔話になりますが、僕は高校生の頃、きわめて先鋭的な性格で「僕は絶対に正しい」「僕以外はバカ」という典型的な中2病原理で生きていました←これはいつか話をした気がします。それが、大学に入って、ある女の子と出会ったのです。その娘は僕が何を言っても「それ本当?」「そうとも限らないやん」とひたすら言ってくるのです。

 

「○○ってこうだよね」「ふ〜ん、そうなんかなぁ…」「そうやん、だって○○やん」「そうとも限らんのちゃう?」「絶対そうに決まってるやん」「でも、○○って、こういうこともあるやん」「ま、まあ、それもそうだけど…でも、○○やろ!」「そうとも限らんやん?」「なんやねん、自分うっとうしいな!」

 

この後出しカウンター攻撃に対して、僕は全力の論破体制で挑んだんですが、彼女の知的レベルは僕より遙かに高く、「そうとも限らないやん」の鉄壁ディフェンスを突き崩すことは遂にできず。「僕が正しい訳でもないのか…」という人になってしまったのです。それで僕は多少いい人になって。ついでにその娘のことが好きになっちゃったんですが(大敗北)。

 

でも、僕が傍若無人してた頃の方が人として輝いていたんじゃないか…と今でも思うことがあります。

 

世界初の哲学の巨人はソクラテスだと僕は思うのですが、ソクラテスは自分では答えを出さす、人の揚げ足をひたすらとっていくという、ある意味でとってもいやな人間でした。そして、ソクラテスは自分の著作というものを全く残していません。そういう意味で徹底した懐疑主義者だと思います。哲学とは、「答え」を求めながら、同時に「答え」を疑っていく…そういうアンビバレントな学問です。

 

特にカント以降、哲学は、「答えが出る構造」を探求する学問、になった気がします。

 

しかし、その結果、哲学は原初的な欲望からズレが生じた感じがします。僕も、大学1回生の時に哲学の授業を受けた時に、答えというより、答えを求める「書式」についての話がず〜と続いている気がして、「こんなの答えじゃないじゃん」と、哲学に対する関心がなくなった過去があります。サンデル教授がテレビでも言っていましたが、哲学は恐ろしい学問で、僕らが無意識に信じている概念をひっくり返して更地にしてしまう。結果的に僕は哲学を読めば読むほどど、ういう考えに対しても確信が持てないし、自分自身も正しいことを言ってるのかよくわからなくなってしまいました。

 

「僕は正しいし正しくない、僕以外の人も正しいし正しくない」

 

これは真に哲学的な答えの一つだと思うのですが、果たしてこれが僕の求めていた答えなのか…?

 

自分自身が絶対じゃない、という意識を持つのは「哲学」の第一歩で、また、絶対的な答えというのを敵視し、「相手にも言い分がある」と考えるリベラル的思考は、知性が生み出した美徳だと思うんですが。ここ最近では尊重されるべき答えがあまりに沢山になりすぎて、その知性が試練を迎えてる時期のように思えます。この原稿中にトランプ大統領の誕生しましたが、象徴的な事件ですね。Brexitの件もそうですが、「理想」が「現実」に負けたというより、実際は「理想」に「現実」が負けたという気がします。

 

今のように昔ながら美徳が劣勢のなかで、僕ごとき一介の平凡な人間が最終回にどういうことを言うか、非常に悩ましい限りですね(苦笑)。答えなんつーものはないって2話目にして言ってるにも関わらず、毎回「答え」を出さないといけない漫画という形式こそアンビバレントですよね。

wakakitamiki * ねじの人々 * 02:33 * - * - * pookmark

10/23:神のみペーパー終了とねじの人々23話の話

神のみペーパー、追加募集分も返送終了しました。明日発送する分で全部終わります。長いことかかってしまってすみません。なんと、返送してる間に次の連載が終わってしまうという作業の遅さ!

 

書き損じのペーパーだけでもこんなになりました↓

絵も変わったなぁ。昔から瞳を色々変える人間なんだけどね。

 

それでもって、マンガワンの方では「ねじの人々」が更新されています。

 

からかい上手のありさちゃん

人気マンガに乗っかる所存。久しぶりにがっつり模写というのをしてしまいました。楽しかったなぁ。

 

今回の一連のお話というのは、みんなが当たり前のように受け入れている常識に潜んでる差別や偏見について書いています。そしてそれがわかっていながら、儲かるから、またあるいはそっちの方が気持ちいいからという理由で無視している。そういう事柄について考えています。

 

表現のクリシェに対する、世間からまたは作り手側からの批判というのは定期的に起こっており、最近ではゲーム内の性差別をめぐって「ゲーマーゲート」なんて問題も起こっており、僕の大好きなDOAX3もアメリカでは発売しておらんのです(苦笑)

 

僕は性差別があろうと表現の自由は守られるべきだと思うし、規制こそ差別だと思う。ただ、自由=正しいものとも思わないのです。僕はDOAX3が大好きですが、同時にこのゲームが性差別的だとも思います。有害図書うんぬんの話でも、表現は守られるべきだと思うけど、コミケ帰りに女性器の絵を描いたバッグを隠さないで持ってるような人は、警察にひっぱられていいとも思う。ここら辺のごっちゃ感が常にあって、僕は自分で描いていながら、漫画はある種危険なものだと思うし、良い方向にも悪い方向にも人に大きな影響を与えるものだと思う。他ならぬ自分が、漫画を読んだことで人生を漫画に捧げてしまってるんだから誰よりもわかる。ただそれだけに、表現する方にもある程度の自覚と責任が必要だと思う。

 

そういう意味において、自分で描いているものの「不誠実さ」や「自分勝手さ」について、自分で言い訳したのが今回のお話だったと思います。そして、これからも続けるよと。それが許されるのが漫画という世界だと思うので。ただ、漫画のなかに描かれてることの「正しさ」「答え」がどれほど正当なのか、この漫画を読んでる人と一緒に考えてみたいな、と。色々つたない部分はあったでしょうけども、そういうことでした。ほんと、この話を始めると身も蓋もないんで、最終回前でしかできないお話でしたね。

wakakitamiki * ねじの人々 * 20:27 * - * - * pookmark

9/16:ねじの人々22話の話

ねじの人々の22話が更新されました。

 

今回は、そもそも「物語」とはどういうものなのか。というお話です。

 

物語には読者と作者が存在し、その状況を生み出したのは「複製する」という技術が出現したからである…と言う、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」の説をベースにして、今回はかなり真面目にやってます。

 

今回は引用が沢山ありますが、全てこの本のなかから引用しました。

何を隠そう、ベンヤミンは私の卒論の時のテーマだったのです。久しぶりに「複製技術〜」を読みましたが、読みやすい、短い、現代でも通用する、という素晴らしい評論です。複製することによる読者の大量参与がいかなる結果を呼ぶか。戦前の本ですが、インターネット時代でもそれなりにしっくりくるものがあります。この評論のそもそもの根底に流れているのはマルクスなんですが、社会主義共産主義が衰退しても、マルクスの歴史観察は今でも通用してる気がします。池上さんも言ってたけど、「資本論」は超富裕層が生まれるような世の中にはガッチリ適応できてしまいます。次のねじでマルクスの話ができればいいなぁ、と思っておるのですが。よかったら上の本も読んでみてください。

 

↓ポプテピピックに影響された集中線

wakakitamiki * ねじの人々 * 05:35 * - * - * pookmark

8/23:ねじの人々21話の話

そういえば、「ねじの人々」第21話公開してます。

前月からヒロインポジションに躍り出た万子ちゃんに鉄槌!

ねじに幼なじみが登場!

しかし、ブス!ということから始まる騒動。

 

今回はいつものような個々の哲学用語ではなく、「物語」ということについて考える予定です。最初は幼なじみの「設定」のお話をします。なの菓子や神のみで幼なじみを思いっきり出しておきながら、こっちでは」裏」の話題をする。大丈夫なんですかね〜。

 

今回は3話以上にはなると思います。場合によっては最終回になるかも知れません。それぐらい、ボクにとっては重要なトピックでありますので。ただいま、ベンヤミンや吉本隆明、大塚英志…色々読んでる最中です。終わるのか、これ。

wakakitamiki * ねじの人々 * 23:59 * - * - * pookmark

7/21:ねじ20話更新の話

MANGAONE、ねじの20話が更新されました。

 

今回の話は「働く」ということと「孤独」ということを、マックス・ウエーバーを都合良く拡大解釈することで考えています。

 

働かざるもの食うべからずと言いますが、ニートのように日本ではお父さんお母さんがお金を持ってるおかげで、働かざるものでも食っていける場合もあります。

 

ジョンロックによると、働くということは「所有」することだそうです。働くことで、人間は神からこの世に与えられた「みんなのもの」を、「自分のもの」として獲得し、そして終いには自分をも所有できるのです。しかし、その労働ですが、人間はいつまでも働くことを止めません。お金を一生分稼いでも止めません。いくら働いても満足できないのです。人間はなぜに働いてしまうのでしょう?何のために?というのが今回のお話です。

 

ついでに、「働かされること」と「働くこと」の違いも、今回の話から考えることができるかも知れません。あと、万子ちゃんがとっても良いので是非見てください。

 

そういえば、クレイジージャーニーでキューバの刑務所が紹介されていましたね。「パノプティコン」の例になっていた刑務所です。初めて鮮明な画像で見ました。

wakakitamiki * ねじの人々 * 23:15 * - * - * pookmark

7/8:ねじの書影とモバマスの結果の話

なの菓子の原稿が完成。

つかれた…。

 

その後すぐにねじの原稿をやらないといけないけど、なんか爆睡。次回はなの菓子にカラーがつくので、来週の原稿はなのは18P+カラー1P+ねじ19P(本文+おまけ)という量。また島本和彦状態だ。ほんとこれ大丈夫かなぁ。

 

とりあえず、締め切りを後ろに下げられないか担当さんに相談。ほんといい加減チーフアシスタントでも作らないと、命の危険だわ。

 

そんななかAMAZONのねじ2巻の書影を見るとなんか異様なものに…

もう差し替わってたらいいけど、どうかな?

 

つまりどういうことかと言うと、イラストが表示されず、イラストを印刷するときの特殊印刷、その「特殊部分」だけが映っていたのだ(つまりねじだけが映る)。なぜこういうものができてしまったのかわからんが、この本のコンセプトの場合、「こういうものか」と思ってしまって、後でちゃんとしたイラストが出た方がインパクトが弱いかも知れない?実にタチが悪いミスだ!

 

そんななか、嬉しいニュースもあって。

モバマスのイベントでとときんが取れた☆(←余裕あるな、おい)

 

いえーい。

仕事しながらでも2000位以内に入れるモバマス最高。金は使わないでおこうと思ったけど、心配で150円のドリンクだけ買った。でも余った。さすがに人は多少減ってるんで取りやすくはある。でも最終日の勢いはさすがとときんって感じだったね。次のイベントのふじりなもかわいいよな〜。パワー持ちいるから走りたいなぁ〜(あの頃の気持ち)。

 

それより原稿やらないと。

 

あ。なの菓子5巻のWEBサンデーの書影は直っていた。よかった〜。

http://websunday.net/news/16070612.html

wakakitamiki * ねじの人々 * 19:39 * - * - * pookmark

5/19:私がクリスタを始めた理由

ねじの人々が更新されました。

今回は突然の打ち合わせ話。「ねじの人々」の打ち合わせをかなり忠実に再現してあります。こんな程度なんですよ、本当に。

今回はとにかく作画が大変でしてねぇ。背景がこんなにちゃんと入った回も初めてというのもあったんですけど、大きな理由が一つあって、今回の原稿からクリスタを使い始めたんですよ。CLIPSTUDIO。これがコミスタの次世代ソフトであるんですけど、結構使い勝手が違って大変苦労しました。GWの休みをかなり食いつぶしてしまいました。

なんで、クリスタを使い始めたのか。これは理由がありましてねぇ。

このようなイベントがありまして↓ 横浜で畑先生と一緒にイベントをやることになったんですよ。去年のサンデー謝恩会の時に背景塾の人にオファーを受けて安請け合いしてしまいまして。なんか背景塾の教室でひっそりやると思ってたのに、フタを開けてみたら横浜のアニメイトとかで、なんかめちゃくちゃデカくなってるんですけど。思ってたのと全然違う。今までこーゆーのイヤで、リアルでイベントとか一切やってなかったのに~。まあ、ボクがどんな人がみたい人は来たらいいんじゃないっすか。ちなみに、グーグルで検索するとボクの顔って全部担当さんの顔です。謎の人がよかったなぁ。
wakakitamiki * ねじの人々 * 08:03 * - * - * pookmark
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