まあ、初めて連載を始めて10年。
新人として編集部に入ってからは、もう22年ぐらい経っているんだよね。
その間、特に新人の頃に徹底して仕込まれたことは、
「どうやって収めるか」って技術なのよ。読み切りなら32ページ。連載なら18ページ。ページというのは有限である。いろいろな要素を考えて、それを限られたスペースに押し込むか。ボクはその「収める」と言うことに関してはそこそこ技術力を身につけた。身につけて「しまった」というべきか。複数のプロットを有機的にまとめて、キャラもストーリーも全部もらさずに、ちゃんと「収める」。こういうことが今やいとも簡単にできてしまう。ただ、それは面白さには何の繋がりもない。感心はされるかも知れないが。
結局のところ気づいたのは、マンガで大切なのは
「どうやってはみ出すか」ってことだったんだね。収めちゃったらダメなんだよ。編集さんもしばしば「収められてるかどうか」を基準にネームを採点する。それじゃあ、マンガが小さくなる一方。でも、ただはみ出すだけじゃあ、カオスでしかない。できれば、マンガの「中」でははみ出しながら、マンガの「外」で収める。神のみの時は天然でやっていたことを、分析したい。まあ、何を言ってるか全然わからんでしょうけど、ボクもここの観点がうまく説明できなくて、最近の打ち合わせがとにかくもどかしいのだ。
何を言いたいかと言うと、DOA5ラストラウンドの無料コスの話ですよ。全然話題つながってないけども。
DOA5のLRのコスに関しては、以前有料DLCとしてボクのデザインした
「Tactical Frills」というものがあった。
これ。(クリックで拡大)。
これについては↓を参照のこと。
http://blog.wakakitamiki.coolblog.jp/?eid=1311326
その打ち合わせの時に、チームニンジャに行った私は、
「ボクはこんなにもDOA、いや、あやねが好きなんだ」いう演説を4時間にわたって繰り広げたのである!実はこれがやりたいがために打ち合わせに行ったという、ストーカーさながらの蛮行であった。
その時の最後の方のスタッフの皆さんがシーンとするなかでボクが話し続ける様子ときたら、
23世紀末ぐらいのアルマゲドン的様相だった訳で、仕事場に帰ってきたボクは多少の満足感と、大いなる後悔にさいなまれた。2時間ぐらいにしておくべきだったと。
ところが、スタッフの皆さんは「DOA愛を感じる発言ありがたかった」と…。そして、あやねサイコパスにさらなるご褒美というか。もう一つ、
ボクデザインのコスを無料DLCとして制作してくれたのだった!かたじけない!
Koredayo!
このコスについて、色々話したいことあるんだけど、なんかこういうの詳しく話していいものかはばかられるところがあってね…。とにかく、ボクはこの鎧にあやねの「KUNOICHIGAIDEN」を夢見てる訳。半分の鎧、ライドウの首飾り、そして、そしてもう半分をかすみが着てるというところにね。もちろん、公式でもなんでもない、妄想だ!
どわりゃー!
思えばもう20年近く前、かすみ&あやねは、「はみ出した」存在だった。くのいちなのに好物がイチゴのミルフィーユ、生物のように自動的に揺れる胸、裸オーバーオールで戦う姉妹。なぜ格闘ゲームて?今でこそ、こういうキャラは不自然ではないが、昔は違和感の塊であった。ただ、それなのに、なぜかしっくり感というか、こういう存在がいていい理由みたいなものがあった。はみだしてるのに収まっている。だからこそ、この姉妹はここまでDOAを支え続けてきたんだと思う。
確かに、マリーはかわいい。ほのかは素晴らしい。DOAX3は発売日当日にゲーム屋の前に並んで買いたいぐらいだ。こんな気分は久しぶりだよ。キャリバー以来のケツゆれショック!
ただまあ、マリーもほのかも、どことなく収まってる感じがある。はみだしてないというかね…ヒトミっぽいというか。でも、マリーが人気1位なのはすごい。女体の美しさに全てをかける姿勢はもはや他の追随を許さないものがあるしね。次のDOA6でははみ出した胸…おっと、キャラクターが出てきて欲しいなあと思う。その時が古いDOAを脱ぎ捨て、新しい歴史が始まる時だ。